通勤時間

通勤時間が嫌いだった。

人生において、なんて無駄な時間なのだろうと思っていた。

ぼくの通勤時間は往復約1時間。

人生、1日、24時間。

職場に行くために、毎日の1/24を無駄にしている。

そんな感覚をずっと持ち続けていた。

通勤中は運転をしているので、やれることも限られてくる

毎日好きな音楽を聞いたり、YouTubeで大好きなお笑いの動画をみたり

歌うことが好きなので、時には歌ったりして通勤時間を潰していた

 

そんな通勤時間を最近は有意義なものだと思う様になった

YouTubeで教育系、啓発系、ビジネス系の動画を観るようになってからだ

朝の30分、睡眠から覚め、脳みそが冴えわたっているゴールデンタイム

 

 

人生に焦燥感を覚え始めたのは、30歳

周囲と比較すると自分の攻撃力(収入)の低さに絶望し

半分の虚勢と半分のリアルをごちゃまぜにしながら生き続けてきた

この半分がリアルであるとうことがかなりタチが悪い

妙な信憑性がでるし、ボロがでない

というか、他人はさほどぼくに興味がない

さらに聞き手がロジカル的に納得する嘘には自信があった

しかし一番騙せないのは、自分自身だった

自分が作り上げた虚構に、一番苦しみ、悩むのはいつも自分自身だった

まるでドラッグの様に、じわじわと、精神は蝕まれていった

 

実際の自分は攻撃力が低く、でも低空飛行で安定はしている

キャッシュが切れるということはまずない、そういう仕事

この生ぬるい環境は恵まれている、とは思う

でも同時に副作用があって

それは、まるで真冬の布団から出られないみたいな

出なくてはいけないとはわかっているけれど

もう少し、、、もう少し、、、と布団から出ようとしない内に

30歳を越えてしまった

 

要するにぼくは意思が弱いのだ

いや、違う

ぼくには意思がないのだ

 

自分の意思がないくせに、周囲の定規と比べ

精神は摩耗していった

しかし、何もしない、何もできない

無駄なプライドだけはあった

 

彼女ができても、結婚するというビジョンがわかない

惨めな自分を相手が受け入れてくれるわけないと思っていたし

それは今も思い続けている

付き合ってくれている子に対してなんて不誠実なのだろう

 

ある日、自分の意思を結婚したいということにするのはどうだろうかと考えた

今思うと、かなりリスキーでアホみたいな決断

どうしても結婚したい好きな子ができた

今思うと、なぜそこまで好きだったのか不明

でもその時は全力でそう思っていた

というか、そう思っていたかった

意思がない自分にうんざりしていたので

それを自分の意思とすることで幸せになれると勘違いしていた

 

話を戻そう

結婚するには、攻撃力を上げなくてはならない

でも、今の環境でそれを達成することはできない

じゃあ、転職しかないな、と考えた

安直、にして、愚直

もちろん、やりたいことがパッと浮かぶわけでもなく

自分が考える結婚するのに必要な年収と

自分がやれそうだなという事を基準に転職活動をした

 

結局その子とはうまくいかずに別れてしまった

 

そんな時、よく観ていたのがYouTube自己啓発系の動画だった

動画をみるだけで自分が成功したような気持ちになる

観た直後だけ気持ちが前向きになれる

みていて、精神が楽になる

自分を肯定するように、自分を戒めるように

自己啓発系の動画を観続けた

 

実際、観始めると為になることも多く

また自分の価値観がアップデートされていった

物事の本質を見極めようとする様になった

 

物事の本質を考えてから

それに対しての自分の見解をロジカル的に

 

自分の幸せがどこにあるのかも見失い

思考停止に他人の幸せの定規に自分を重ね合わせて

自分はダメな人間なのだと、もっと頑張らなくてはいけないと

ただただ焦りだけがあった。